「エゴ」という名のもう一人のわたし

長い間、3次元を生きるために本質の自分が生み出したもう一人のわたし「エゴ」で生きてきました。


「エゴ」は「本質のわたしのアバター(化身)」です。
そういう意味で人間って生まれながらに2重人格なのかもと今は思います。
だってすべての人の中に間違いなく、「エゴのわたし」と「本質のわたし」が存在するんですから。


「エゴ」のわたしはとてもドラマティックで、努力家で、涙ももろくて、愛情深くて、正義感があり、自分に厳しくて、批判的で、周りがうらやましくて、小さな幸せを大事にする、「人間ってこういうもんだよ」という考え方をしています。


「エゴ」がいてくれたから、わたしたちは「人間」というドラマを存分に楽しめました。


落ち込んた時には親友がいて慰めてくれて、命を捧げられるくらいに大好きな人にも出会えます。頑張ってなにかを得て、また頑張って。小さな幸せを噛み締めて。誰かを裏切り、敵を討つ。というたくさんの人間ドラマを輪廻の中でも体験しました。お金がなくて動けないというドラマはかなり体験しました。


ドラマでは「わたしなんか」という無価値感と「わたしが悪い」という罪悪感をベースに、そこから「嫉妬、怒り、不安、その他もろもろたくさん」の感情を使いますが、基本の感情は「無価値感と罪悪感」だけ。


たったこの2つの感情を駆使して、ここまで大スペクタクルな地球の歴史を彩るわたしたちは本当にすごいなと思います。


わたしの中の「エゴ」が完全に役割りを終える、その前の数日間、「エゴ」が少し暴れていました。実態のない「外」と自分を比べさせます。
それすら、わたしがわたしに出した「本当に、目醒めて生きたいと思っているの?」試験でした。


もう視えていた「次のステージ」へ大きく「イエス」を出した時に、わたしのエゴは静かにその役割りを終えて「本質のわたしの中へ統合してきました」


わたしのハイヤーセルフである本質が、完全に「エゴ」を包み込んだ瞬間です。


この瞬間のことは聞いた事がありましたが、ここまでしっかりと「実感と体験」があるとは解らなかったので、とても大切な経験になりました。
今わたしの「エゴ」はわたしの本質の中で、穏やかにいます。

今までたくさん活躍をして大健闘してくれた、「エゴのわたし」と「わたしが創ったすべての現実」を心から愛しいと感じています。

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