並木先生のもとで一環して学んだことは「手放す」「統合を起こす」ことです。
「愛」という波動であったわたしたちは、地球で遊ぶため(学ぶため)に地球に輪廻するためのルールである「無価値感、罪悪感」を始め「怒り、苦しみ、悲しみ、嫉妬、焦り、」などたくさんの負の感情を心に刻み付けました。
心に深く傷をつけているそれらを手放して、外して、傷を癒して一つになっていくことが「統合」を起こすということです。
イエスキリストや聖母マリア、釈迦、菩薩を始めとするマスターと呼ばれる存在は今も手放し続けています。
彼らと交流したいのであれば同じ様に「手放し続ける」ことしかありません。
マスターと呼ばれる彼らでさえ「まだ手放すことがある」と言っています。
わたしも地球のエネルギーの変化の中で時々、揺れてしまうことがあります。
けれどそんな時にはいつも並木先生の「手放すんですよ。手放すんですよ。」という声が響きます。
「目醒めて生きる」ということは荒唐無稽なことではありません。
一つの自立した魂が、生まれてくる前に決めた地球で成し遂げたいことを知り、そこを目指していくことは、小さな時に大きくなったら「なりたかったもの」以上にわたしたちをワクワクさせてくれるのです。
むしろ、地球の小さな制限の中でなにかを成し遂げようと右往左往することのほうが荒唐無稽です。
今いるその環境が「制限、制約、常識」という名の「洗脳」であると知った時にあなたの世界は様変わりします。
この現実はわたしたちの内面の反応です。地が揺れるのも、嵐が来るのもわたしたちの内面が激しく波だっているからです。
「手放す」のは「目醒めるため」もう一度しっかりと目的を確かめてその次の扉を開いていく時です。
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