わたしたちが無償の愛を学ぶ時必ず通る道があります。それは「許し」です。
「許し」ってどうことでしょうか。
過去に起こった出来事や今の状態を許す、これは過去の出来事や、言われたこと、そこに関わった人を無理矢理に肯定してくださいと言っているのでも、あなたの中にあるその時に感じた不快感をねじ伏せてくださいと言っているのでもないのです。
「もうその出来事から影響を受けないで良いよ」と自分自身に許可すること。今ここにいるわたしに「もうこれ以上自分を苦しめる必要はないよ」と許可を出すことです。
わたしたちは皆ともに学びの中にあり、起こったこと、起こしたことは既に完了していて、そこから学ぶことはあっても、もう出来事やその時の感情により自分を苦しめる必要はないんです。
わたしたちは過去を振り返る時に、「あれは許せない、あの言葉はないよね」と言うけれど、本当はその出来事から自分が影響を受けず自由になることを許していないだけなのです。
怒りの後ろのわたしが軽んじられたという「無価値感」
後悔の後ろのあんなこと言わなければ良かった「罪悪感」
出来事や相手を視ているようで、実は自分自身を投影しています。
「あんなことを言われた」「こんなことがあった」そこには確かに「相手」は存在しています。
けれど、大きな視点から視れば、わたしたちは、制限の中で人間ドラマのシナリオ通りに動いていただけで、本当の在り方に気付くために、「いいかげんに人間ドラマをやめるために」自分で起こしたことなのです。
社会を視て「許せない」と思うことはたくさんあります。
わたしたちはこれまで過去からずっと同じ様な闘い、諍い、争いの歴史を繰り返してきました。
今もなぜ同じ様な、歴史を繰り返しているのでしょうか。
「まだこの生き方をしますか?もうこの生き方を、考え方を改める時ですよ」という気付きの流れの中にあるからです。
社会で起こることも、自分の中で起きることの延長です。
わたしたちが「許す」と思う時、実はまだ「許していないこと」に気付きます。
もう新しい生き方へ向かうステージにはいる時です。
自分とすべては繋がっています。わたしたちが自分自身を許した時、すべては許しの元で溶けていく。
許しに気付いたその先に待つものは、純粋な愛だけの世界です。
この記事へのコメントはありません。