人間ドラマを超えて行く〜真実の自分を生きる〜

大いなる源を親に持つわたしたちは、この地球で遊ぶために親の愛を忘れ、かわりに無価値感と罪悪感を刻み付け、そこからたくさんのネガティブな感情を分化させて壮大な人間ドラマを創りだしてきました。


その人間ドラマは過去世から脈々と続き、いつの間にかわたしたちは自分たちを小さな鳥かごに押し込んで、この中で、「誰がどうした」「あの人はああだ、こうだ」と、小さな諍いから戦争まであらゆるドラマを創りだしてきました。


テレビや映画で配信されているたくさんのドラマ、西部劇も時代劇もヒューマンドラマも、シチュエーションが違うだけでそこで使われている感情は、怒り、悲しみ、苦しみ、努力などほとんど同じものです。


「家族に囲まれて好きな仕事ができて富を得た、山あり谷ありだったけど、幸せな人生だったドラマ」

「闘いと復讐に燃えて愛憎まみれドラマ」

「愛だけに生きた昼メロドラマ」


わたしたちが地球で使っている感情で映し出すものはどれも実はそんなに大差はありません。こう言われたら、怒りで反応し、こうなったら悲しみで反応する。
わたしたちのこれまでの人生は壮大なステレオタイプでした。


そろそろ「真実のわたし。神と同じ力を持つ雄大な自分を体現する」というまったく新しい「目醒めのシーズン」に入る選択はどうでしょうか。


この「目醒めのシーズン」の「価値観と生き方」は今までの転生(ドラマ)ではなかったもので、筋書きは、「すべては繋がっていて、良いも悪いもない、起こった出来事はすべてが目醒めるために手放すもの。そして、今この瞬間からなにもかも創りだすことが出来る」というもの。


ステレオタイプの人間ドラマのシナリオを終えて、舞台を降りて、わたしが「脚本家で監督でプロデューサーで主演の人生」を始めるのはいかがですか。


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