無から有を生む〜夢から悠を生む〜

大切なのは「目醒めること」が優れているわけでも、良いことでもないということです。


「喜怒哀楽」というたくさんの感情を感じてみたかったのは私たち自身です。
目醒めないシナリオだってとてもエキサイティングです。これまでだってたくさんの人間ドラマを心から楽しんできました。


本当は「愛も怒りも悲しみも」実はドレミファソラシドくらいの違いしかありません、つまり周波数の違いだけ、その違いをはっきりと体感し体験できるのは地球で生きているからです。


単なる波動の違いが、物理次元では感情だけでなく、仕事の成功や、恋愛の成就、もしくは戦争などで形にすることもできる。こんなに楽しいことはありませんでした。


けれど「目醒めていく」「壮大な魔法を解いていく」と決めたなら「視ているものに学びはなく、自分が目醒めて行くためのツールとして起こしたのだ」と捉えられるかどうかです。


夢を視ているのは自分だからこの「明晰夢」に責任を持ち、もっと手放して「源」である「神なる自分」と一致していくと「覚悟」を決められますか?ということです。

過去も、未来も、パラレルも、マスターも、天使も、宇宙人も、惑星も、なにもない、あると思うから、生み出す、認識するから生み出す、認識しなければ、生み出さない。何もないということは、仏教でいうところの「空 くう」なのです。わたしが「空」であり、わたしが「起源」である、わたしが「出発点」なのです。


「無から有を生む」をこれからは「夢から悠を生む」で生きていきましょう。

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