瞑想」という言葉からはどのようなイメージを持ちますか?
お寺や、ヨガ、最近はやりのマインドフルネス、時間を作らないと向き合えないものとの印象がありますか?
ヨガなどで、その瞬間は「瞑想」状態になっても、時間が終了したらいつもの生活に戻ってしまうのはもったいないのです。
「瞑想」というのは自分の中を見つめて、自分に集中すること、自分の中にある「邪気」を滅していくことです。
「今この瞬間、生きていることを感じつづけること」
「一瞬、一瞬を真剣に生きること」
これが日常の中でできれば常に瞑想して生活をすることになります。
わたしたちが思い悩むのは、過去に起こったこと、未来への不安です。
この瞬間だけに意識を向けると、そこにはなにもないことが解ります。なにもないから自由に次の扉を開くことができるのです。
この瞬間から視る過去は、「起こった出来事は関わるすべての人にとって学びであった、必要なことが起こっていた」と思えるのです。
自分と向き合い様々な邪気を滅した先でもっともっと手放しいくための些細な物が解ってきます。
そのためには「瞑想」で心静かな状態でありながらも、行動して表現することが大切です。
「瞑想」という自分を客観的に視る状態に置いておくから、本質でない自分が何を感じているのかがわかるのです。
常にゼロポイントに自分を置いて、手放すために動く。
本質の自分に目醒める大切な要素はそれだけなのです。
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